移入しすぎた

 このあいだの日曜日、「誰も知らない」を観てきた。テーマがテーマだけに「いい映画だよ」って勧めることはできないけれど、かなり感情移入した。移入しすぎて疲れた、というほうが正しい。やっぱりドキュメンタリーを撮ってきた監督さんならではなのかなあ。季節の移り変わりとかもきちんと表現されているし、なによりもぐっときてしまったのは、子供たちの焦燥感の募りかただった。一気に映画の手法として焦燥感を煽るのではなくて、子供なりのテンポですこしずつすこしずつ焦っていくんだなあ、というのがわかる感じ。髪もぼさぼさに伸びて、季節によって服装も変わっていって、その服も汚れが取りきれずにだんだんくたびれてきて穴があいて、というのも母親のいない期間の長さを想像させるのに難くない重要な要素。「明日は帰ってくる」「来週には帰ってくるかも」という期待の均衡がじわじわ崩れていくさまが、手にとるようにわかる。その均衡がはっきり崩れた瞬間が、子供たちが外に出はじめたときなんじゃないかと思う。演じている子供たちがすごく自然だったのも印象深かった。台本どおりの演技じゃないというのが伝わってくる。淡々と流れていく日常。そこに母親がいるかいないか、ただそれだけの違い、という気もしてくるから不思議だ。主演の柳楽優弥くんは本当に素晴らしい。柳楽くんだからこそあの役を演じきれたんじゃないかなあと思う。目の力がとにかくすごくて、いい俳優さんになるだろうなあ、なってほしいなあと思う。作品を選んでいい映画に出ていってほしい。映画を観たあとはわりといつもそうなのだけれど、この作品については特にどっぷり浸かってしまって頭の中がしびれてしばらく放心状態で、クドくんに心配されてしまった。
 大人の象徴である、YOUの使っていたマニキュアとルイ・ヴィトンのトランクと、子供の象徴である京子ちゃんが使っていたおもちゃのピアノとゆきちゃんの好きなアポロチョコの対比を考えたら、なんだか切なかった。