公私の区別のつけかた

 書くのを忘れていたけれど、よしもとばななの『怒りそしてミルクチャンの日々』も読了したんだった。でもねえ、これ、私はなんだかまじめに読む気になれなかった。もともとwebで読んでいるからという理由もあるのかもしれないけど、なんだか個人的に過ぎるような気がして。この本に関わらず、サイトの文章をまとめて本にするということに、私は少なからず抵抗を覚えるのだ。
 webで読んでいるときは何とも思わないのに、どうしてそれが活字媒体になると拒否反応が出てしまうかということには、思い当たる理由はある。私は、web日記をごくごく個人的なもの、そして活字媒体を公的なものだと考えているからだ。
 私は、ネットをするようになってわりとすぐにweb日記というカテゴリに行き当たった。自分が書きはじめるまではかなり時間がかかったけれど、読むことだけはずっとしていた。日記は自分だけのもの、と思っていたそれまでの私にとって、web日記はそれよりもずっと開かれた世界だった。でも、しょせん日記は日記。やはり個人的な世界であることに変わりはない。でもそれが、いったん印刷されて本というメディアで世の中に出てしまうと、その日記の公的な部分と私的な部分に、どう区切りをつけていいのかの判断がつかなくなるのだ。この本もそう。webで見ていても別に何とも思わないのに、それがそのまま本になってしまうと、これをわざわざ本にする必要はあったのか、と思ってしまうのだ。自分がそういう本を作ってこなかったからかもしれないけど。
 それから、本の作り方でいえば、うしろのQ&A、どうして級数を落として左右2段組にしているのかがわからない。読みにくくないのかなあ。私はこの部分、かなりすっ飛ばして読んでしまった。この日記はwebで読むだけでいいや、と思ってしまった。