「それは、肉体の一部となり、精神の羅針盤となった。」

 須賀敦子の『遠い朝の本たち』を読了。須賀敦子を読むのはこれが2作目なんだけれど、1作目を読んだのがたぶん2年前くらい。すごくしゃんとしているんだけど、その姿勢が当時の私にはちょっと難しかった記憶がある。なんとなくとっつきにくいというか。その感じは今でも残っているんだけど、そのころよりはもっと読めたかなと思う。
 本を読むのが好きな人って、きっと小さいころから好きなんだと思う。もちろん例外はあるだろうけど。だから本についての記憶も鮮やかなんじゃないかなあ。須賀敦子の場合は、それがたとえ児童用の本だったとしてもすごくまじめに読んでいるような印象を受けた。そして本に学んだことや思ったことをきちんと覚えている。たくさんの記憶と本がちゃんと結びついてるんだなあ。こんなふうに記憶にとどめてもらったら、読んでもらった本も満足だろう。この人の作品は、背中を丸めて読んじゃいけないような気がする。そういう意味では、白洲正子に通じるものがあるかも。もうちょっと読んでみようかなあ、この人の作品。