残りの日数を指折り数える水曜日

 次の年度のオバサンは、9時きっかりに来て12時前に帰ってしまわれた。いったい何をしに来てるんだろう。こっちが来てって頼んでるわけでもないんだし、私はあと3日しかいないんだから、聞きたいことがあったら聞いてくれればいいのに、ただ黙って資料を読んでるだけ。パソコンについても「教えてね」って言うわりにやる素振りもない。なんだかなあ。仕事する気あるんだかないんだか。もういいや、ほっとこう。
 ある人の日記の過去ログを、今時間をかけてじっくり読んでいる(おいおい仕事中だぞー一応)。すごーくニュートラルな印象の文章だ。きっとご本人も、この文章と同じようにしっかりとした知的な方なのだろう。自分のサイトの文章を思い返したら、感情的としか言いようがないなあと思う。自分では文章もすごく考えて書いているつもりだけど(ここは書きなぐりの場所だからそういうことは一切考えてないけどな)、その方の文章に比べたらとにかく感情的だ。以前お会いしたお姉様にも、「日記で怒ってることが多いよね」と言われた。確かにそうなのだ。私は負の感情に支配されたときに、そのはけ口として日記を書きたくなる。そこで不満をぶちまけて、はーすっきり、ってするのだ。すごく不健全な気もする。そうじゃなくて、穏やかな日常をきちんと綴れる人になりたい、と思うけど、私自身がそういう人間じゃない以上、そうなれるのはそうとう未来のことなのかもしれない。
 久しぶりに出身大学のサイトを見た。私がいたときよりも、はるかに見やすいサイトになっていて、しかも新しいセンターができたり社会人聴講科目が増えていたり、いいなあと素直にうらやましく思った。私はたぶん、一般に大学生と呼ばれる学生よりも勉強したと思う。研究室も勉強が大変なことで知られていたし、何よりも自分のやりたいことだったから、一生懸命専門書も読んだ。あの大学に行ってよかったなあ、と今でも思う。私大に行きたかったという思いは今でもあるけれど、あそこでしか学べないことも多かった。私の選択は間違ってなかったと思う。それに比べて、地元の大学の閉鎖的なこと。社会人聴講科目はひとつもなく、社会人特別選抜で学びなおすこともできない。社会人になってから新たな分野に目覚めることもあるはずなのに、そういうことに対して門戸を閉ざしている。そういうのってよくないんじゃないかな、と思うのだ。国立大学の再編も言われているのに、これで生き残れるのだろうか。まがりなりにも総合大学なのに、これじゃあ公立の出身大学のほうが期待が持てると言わざるを得ない。がっかりだ。勉強したいことはたくさんあるのに。
 コンプレックスだらけ。