また見たくなっちゃったじゃないか

 糸井重里ほぼ日刊イトイ新聞の本』を読了。何年前になるかなあ、私も「ほぼ日」を毎日見ていた時期があった。毎日毎日飽きもせず、更新されているコンテンツをそれこそ全部舐めるように見て、次の日の更新をまた楽しみにしていた。でも、いつからだかはっきり覚えていないけれど、私は徐々に「ほぼ日」から離れた。あまりにも内部でやり過ぎているような気がして、ちょっと外側とかにいる人にとっては入り込めない空気ができたなあと勝手に思ったからだ。でも、この本を読んだら、なんとなくだけれど糸井さんと「ほぼ日」が目指してきた方向がわかる気がした。みんなが立ち寄れる場所、というのは、広いネットの社会でそうそうあるものではない。たいていは常連の人が来るだけで終わってしまったり、1度そういうブームを巻き起こしても、それがずっと続いていくとは限らない。ネットの世界は移り変わりが激しい。現実世界よりも、ずっと速度が速いのだ。そういう中で、みんなが立ち寄れる場所を目指してきたこの人たちは、やっぱりちょっとすごいと思う。それから、わーこれ、と思った表現。「周囲をへんに意識して、狭い同人誌的な仲間を感心させようとすると、ものを考えたり表現をすることが怖くなる。そんなにとてつもないものや斬新なアイデアが、次々に生まれるはずはないのだ。幼稚園の遠足で行進している子供たちが、どの子も生き生きしているように、どうだいこれはってものは、いくらでもあると思ったほうが、楽しいし、いい考えが生まれるものだ。/『アイデアが閃かなくなるのでは・・・・・・』/若いときにはこんな恐怖もあるにはあったが、アイデアはどんどん外に出していくことで新しく湧いてくる。」(本文p.130-131より)という文章だ。何かを作る仕事をしている人間にとって、アイディアが浮かばなくなるんじゃないかという恐怖は、何にも勝ると思う。でもそれをずばっと切り捨てられてしまうと、そうかそうかそういうもんか、と思える気もする。単純だけれど。「ほぼ日」、また見ようかなと思う。