死刑執行で考える

 午前中なにげなくYahoo!を見ていたら、「宅間死刑囚の死刑執行」のトピックスが目に入って、慌てて記事を読んだ。死刑確定から1年での執行は、いろんな意味で波紋を呼ぶだろうな、と予想がつく。私のような第三者の眼から見れば、1年での執行は早いな、と思う。けれど、関係者や遺族にとってはとてつもなく長い時間だったのだろう。しかも、謝罪の言葉も何もなく、「早く死刑にしろ」と自ら死刑を望む発言を繰り返す死刑囚だったのならなおさらのことだ。元気に学校に行った子供が冷たくなって帰ってくるなんて、そんなことは誰も考えないのだから。これですこしでも遺族の悲しみが和らげば、と思う。
 ただ、これとは別の問題として、私は死刑制度に賛成なのか反対なのか、いまだに自分の態度・考えを決められないでいる。これについては学生時代にも授業で勉強したし、レポートも書いた。けれど、それでもどっちとも決められない。賛成だ、という気持ちも、反対だ、という気持ちも同じくらい私の中にある。今回のように、自分の家族を殺されたら「犯人を死刑にしろ」と思うかもしれない。でも、犯人を実際に死刑にしたところで、果たして自分の気持ちがおさまるのかどうかについても、まったく想像がつかないのだ。ひよっているのかもしれないが、どちらもわかる、というのが正直なところ(でも実際はどちらもわからないのかもしれない)。安易に口に出せない、というのがいちばん自分の気持ちに近いのかな、と思っている。
 死刑執行については、『死刑執行人の苦悩』(大塚公子著、角川文庫、ISBN:4041878012)を読んでみたいと思っていながらまだ未読。これを機会に読んでみようと思う。