昨日の続き

 で、じくじくと考えてみる。たしかにあの大学に行ってよかったとは思っている。それはたしかなのだ。だけど、今抱えている「勉強したい」っていう焦燥感はなんなんだろう。最近なぜか読んでいるサイトの作者さん(っていう言いかたは好きじゃないけど、適当な表現を思いつけない)は、院生だったり学部に入りなおしてまだ学生、という人が多い。それがすごくすごくうらやましいのだ、正直なところ。私も学部の3年が終わるまで、就職するつもりなんてまるっきりなかった。院に進んで勉強を続けたいと思っていた。でも、研究室の先生から、「女性が修士を取って就職しようとすると、学部卒で就職するより何倍も難しい。大学に戻ってくることはいつでもできるけど、新卒で就職できるのは1回しかない。就職してみて、それから院に来たっていいんだから」と言われて、なるほどなあと納得した上で就職する方向に切り替えた。で、結果的にそれは私にとっていい選択だったと思う。これこそ天職じゃないかしらっていう仕事に就けて(こういう言いかたはこっ恥ずかしいけどな!)、研究を続けるよりずっと楽しいかもー、って思った。
 でも、何年か仕事を続けて、まわりのいろんな出版社の人と知り合うようになってから、自分の得たと思っているものの基盤のなさに気がついた。たとえば記事の書き方、コピーのつけ方、装丁、そのほか本を出すという行為にかかわる諸々のこと。それが、どれも実際に実務でやって覚えたことなのだ。それが悪いわけではない。仕事をしながら覚えるのだから、これ以上いいやり方はないのかもしれない。けれど、まわりにきちんと出版学を勉強してきた人がいて、その人の知識の膨大さに私は焦った。何にも知らない、ただ何年か働いて看板商品を任されている、ただそれだけのことで私は天狗になっていた。自分の知識も、自分自身も頼りない。もっとちゃんと理論を学ばなきゃいけないなあと思ったのだ。そして、きちんと出版やジャーナリズムということについて学びたい、と何年間も思っているのだ。行動には移さないままに。あーあーあー、思うだけじゃ何にもならないのにね。